E. Fischerが、糖やアミノ酸、タンパク質の化学をスタートさせたのは、19世紀の終わりから20世紀初頭でした。その後100年を経て、アミノ酸・ペプチドの化学はほぼ確立し、今では自動合成装置で小型タンパク質を合成できるようになっています。構造の明確なペプチドを使用し、タンパク質の構造と機能の関係が研究され、その生合成の機序が明らかにされてきました。核酸合成も自動化が可能になり、DNAに蓄積された遺伝情報がRNAに転写されタンパク質が合成されるという、いわゆるセントラルドグマが分子レベルで解明されたのです。タンパク質・核酸の科学という「規則性のある分子の配列」に関する科学が20世紀の科学だったと言えるかもしれません。その集大成としてヒトゲノムの解読が完了したのは2000年6月のことでした。


 ところで、ゲノムの解読が終了したことで生命現象は明らかになるのでしょうか?それは否定せざるを得ません。なぜなら、ほとんどのタンパク質は糖タンパク質として存在しており、タンパク質の機能だけでは説明がつかないことがたくさんあるからです。たとえば、ABO式血液型は、赤血球表面の糖鎖を構成するたった1つの単糖構造の違いに由来するものです。また、受精、細胞の分化やガンの転移、あるいは、大腸菌O-157のベロ毒素にも糖鎖が関係しています。このような生命現象の神秘的で動的な部分に、第三の生体高分子-糖鎖-が機能していることがわかってきています。翻訳後修飾である糖鎖修飾は、細胞の粗面小胞体で合成されたタンパク質が、ゴルジ装置へ移送された後に行われます。糖鎖生合成経路には細胞ごとに特徴ある酵素群が、ゴルジ装置内に特異的に存在しています。加えて、その種類は膨大で、個人差や臓器、種による糖鎖構造のわずかな違い-ミクロ不均一性-を生じさせています。糖鎖の種類のみならず、糖の結合位置、分岐構造、立体構造などの違いがさらに複雑にしています。糖鎖の科学はこの複雑で繊細な違いと機能の関係を解明しようとしています。言い換えれば「立体的に多様な分子の姿」に関する科学であり、21世紀の科学の代表にちがいありません。


 ところが、人類は糖鎖を自由に合成できる術を獲得できていません。私たちは、こうした糖鎖の不思議な世界を解明するために、構造明確な糖鎖を供給できる手法の開発を基盤に、糖鎖の機能解明と応用を目指しています。糖鎖の末端にあるシアル酸という単糖とインフルエンザウイルスとの関係が明らかになり、新しい抗インフルエンザ薬が開発・上市されました。この成果は多様で複雑な糖鎖分子のほんの一部の機能がわかったにすぎません。糖鎖分子に秘められた様々な機能の全貌-糖鎖コドン-が明確にされるのはこれからです。ES細胞の分化や生体適合性材料の創製、感染症の克服、抗ウイルス剤やDDS機能分子の設計、ガンやプリオンの征圧など21世紀の新しい科学技術を生み出す暗号がここに隠されていると信じています。ポストゲノム時代の基盤技術の確立に、私たちは挑戦し続けています。





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