公益財団法人野口研究所

研究概要・成果Outline / Result

医薬品と糖

 糖・糖鎖は体の中で様々な働きをしています。したがってその構造類似体は本来の働きを増強したり、あるいは抑制したりすることが期待されるので、医薬品や機能性食品として応用できます。また、細胞表面には特定の糖を認識する分子が存在するので、それを利用して医薬品を届けることができます。糖タンパク質医薬品は糖鎖構造が変わるとそのタンパク質分子の立体構造に影響してレセプターとの親和性が変化し、作用の強弱が現れます。
 上市されている糖や糖鎖の機能を利用した製剤の例を紹介します。

PET検査用診断薬―18F-フルオロデオキシグルコース

 細胞は糖(グルコース)を取り込んでエネルギーを産生します。がん細胞は増殖が盛んであるためグルコースを大量に取り込みます。その性質を利用したがんの画像診断としてPET(陽電子放出断層撮影)検査があります。グルコースの類似体であるフルオロデオキシグルコースもがん細胞に取り込まれますが、代謝されずに留まります。したがって放射性同位元素が結合した18F-フルオロデオキシグルコースを投与すると、がんに取り込まれたところから放射線が放出されるので、それを検出することによってがんの位置や大きさなどを特定することができます。

ヒトミルクオリゴ糖の粉ミルクへの添加

 母乳は新生児にとって大切な栄養源です。さらに、母乳は栄養源となるだけでなく、病気の予防や脳の発達に重要な役割を担っています。ヒトミルクオリゴ糖はヒト母乳の成分として5-20mg/ml含まれ、250種以上の構造が知られています。ラクトース2糖を還元末端に含み、直鎖だけでなく分岐構造をもち、フコース、シアル酸、硫酸基で修飾された複雑な構造を有します。野口研究所においても独自のピレン標識法とMALDI-MS解析によって様々な新規構造を同定しています(Glycobiology. 19, 601 (2009). doi: 10.1093/glycob/cwp026)。これらの構造は連鎖球菌、ロタウイルス、ノロウイルス、インフルエンザウィルスなど各種感染微生物が侵入のターゲットとする細胞表面の複合糖質と同様な構造をもちます。したがってこれらのオリゴ糖が妨害して、感染微生物が細胞に近づくことができず感染が防御されます。また、ヒトミルクオリゴ糖はビフィズス菌など有益な腸内細菌の栄養素となり有害な細菌の増殖を抑えて腸内細菌叢のバランスを保ちます。これ以外にも、脳機能や免疫賦活・調節機能をもつと言われています。
 このような有益な母乳の機能に近づけるために、牛乳には含まれていないヒトミルクオリゴ糖である2‘―フコシルラクトースやラクト-N-ネオテトラオースを添加した粉ミルクが欧米で発売されています。

抗インフルエンザ薬―シアリダーゼ阻害薬

 インフルエンザウィルスはシアル酸をもつ糖鎖をターゲットにして細胞に接着して細胞に感染します。ところが、細胞内で増殖しその細胞表面から外へ出ていく際にもシアル酸に接着してしまうので、シアリダーゼ(ノイラミニダーゼ)というシアル酸を切断する酵素が必要になります。タミフルなどの抗インフルエンザ薬はシアル酸を模倣した構造をもち、シアリダーゼの働きを阻害することによってウィルスの増殖を抑えます。

ファブリー病治療薬―α-ガラクトシダーゼ阻害薬

 ファブリー病は遺伝性のリソソームα-ガラクトシダーゼA欠損症で、糖脂質が代謝されずに異常蓄積し、中枢神経障害を引き起こす難病です。遺伝子に変異のある酵素は細胞内で合成されても折りたたみ構造が異常となり速やかに分解されてしまい機能しません。したがって分解を抑えて酵素活性を上昇させることができれば治療効果が期待できます。そこで基質のガラクトースと類似構造を有する阻害剤1-デオキシガラクトノジリマイシンを利用した化学シャペロン療法が開発されました。1-デオキシガラクトノジリマイシンを投与すると、ガラクトシダーゼの折りたたみ構造が修正されるため、分解されることなくリソソームへ輸送され酵素活性が復活します。

バイオ医薬品の糖鎖改変による血中滞留の向上―エリスロポエチン

 エリスロポエチンは腎臓で合成される糖タンパク質で、赤芽球前駆細胞に作用し赤血球への分化・増殖を促す作用を持ちます。この遺伝子組み換え製剤は腎性貧血の治療薬として用いられます。肝臓にはガラクトースをもつ糖鎖を認識するレセプターがあり、シアル酸が脱離してガラクトースが剥き出しになった糖タンパク質を取り込みます。シアル酸が結合したエリスロポエチンは標的細胞のレセプターへの結合が低下しますが、一方で肝臓への取り込みが抑制されるので血中からの消失を減らすことができます。改良されたエリスロポエチンのダルベポエチンは本来の糖タンパク質にさらに多くの糖鎖結合部位を挿入することによってシアル酸数を増やし血中半減期の延長を可能にしました。

バイオ医薬品の糖鎖改変による標的細胞への取り込み増加―イミグルセラーゼ

 ゴーシェ病はリソソームグルコセレブロシダーゼの遺伝子変異により酵素活性低下を引き起こす先天性代謝異常症です。その結果、マクロファージ内に糖脂質グルコセレブロシドが蓄積し、様々な症状が現れます。酵素補充療法の治療薬として、CHO細胞で作製した組み換え体の糖鎖構造を修飾したイミグルセラーゼがあります。細胞由来糖タンパク質はマンノースにさらに別の糖が結合していますが、その糖を人為的に切断してマンノースを露出させた製剤です。標的細胞であるマクロファージはマンノースレセプターをもっているので取り込みやすくなります。

糖鎖改変による抗体機能の増強

 バイオ医薬品で最も多い糖タンパク質製剤は抗体医薬品で、Fc領域に結合するN結合型糖鎖はエフェクター効果に影響します。抗体依存性細胞障害(ADCC)活性にはこのN結合型糖鎖が必須です。さらに、多くのN結合型糖鎖にはコアフコースが結合していますが、このコアフコースを除去するとADCC活性が増強するため、コアフコースが結合しない抗体製剤が開発され用いられています。野口研究所では、糖鎖構造を改変した抗体を多種作製してそのADCC活性を調べた結果、コアフコースの有無だけでなく糖鎖構造によって活性が変化することを明らかにしました(研究の軌跡参照)。また、補体依存性障害(CDC)活性は非還元末端ガラクトース残基数が多いほど増強します。このように糖鎖構造を改変することによって抗体医薬品の作用を増強させることが可能であることから、今後糖鎖構造を改変した抗体製剤がさらに開発されるかもしれません。