前立腺がんは2019年において日本人男性が罹患するがんの1位になっており、今後さらに罹患率が上がることが予測されています。
前立腺がんのスクリーニングには血中の前立腺特異抗原(Prostate Specific Antigen, PSA)量の測定すなわちPSA検査が有効であり、1991年にCatalonaらにより提唱されて以来現在に至るまで行われています。しかし、PSA検査における擬陽性の多さや過剰診断及び治療が、近年問題になっています。
PSAはセリンプロテアーゼに分類されるタンパク質分解酵素であり、健常人の前立腺においても分泌される糖タンパク質です。前立腺がん患者で血中のPSA値が上昇しますが、前立腺炎および良性前立腺肥大症の患者でも血中PSA値が上昇する傾向にあります。よってPSA検査は前立腺がんスクリーニング検査としてその感度および特異度は不十分であると言えます。血中PSA値が10ng/mL以上では、前立腺がんである可能性が高く(>50%)、4ng/mL以下ではその可能性は低い(<15%)とされています。それらの中間である4-10ng/mLは”グレーゾーン”と呼ばれ、うち20-30%程度で前立腺がんが見つかります。グレーゾーンの診断では針を穿刺する侵襲的検査(前立腺生検)が必要ですが、上述の通り、70-80%は結果的に不要な検査となります。入院や麻酔を伴う不必要な生検を避けるため、特にグレーゾーンにおけるより精度の高い前立腺がんのスクリーニングが求められています。そこで、本研究所ではPSAの量だけでなくその質、すなわちPSAの糖鎖変化に着目した解析を行うことを考えました。
本研究では、微量成分の高感度分析が可能なLC−MS/MS(Selected Reaction Monitoring, SRM)法を用いて、特にグレーゾーンレベルのPSAの糖鎖構造を解析することを目指しました。
具体的には、ヒト血清中のグレーゾーンレベルPSA(4-10ng/mL)の糖ペプチドを定量解析する為にLC-MS/MSを用いた方法を開発しました。
前立腺がん患者モデル血清として、PSAを含まない標準血清にPSA標準品を添加したものを調製し、このモデル血清を用いてPSA糖ペプチドのLC-MS/MS解析を行いました。検出上位6糖鎖A2F, A2FLDN, A2, A2LDN, A1FSLDN, A1Fの定量性を確認したところ、上位5糖鎖に関してはPSA 2.5-20ng/mLの範囲で定量が可能でありました。
本研究で開発した方法では、グレーゾーンレベルのPSA濃度であっても、その中に数%存在するPSA糖鎖構造の解析が可能になりました。PSAの糖鎖構造の分布について多くの知見を得ることができ、前立腺がんにおけるPSA糖鎖のマーカーとしての可能性及び臨床検査への展開を期待しています。
“グレーゾーンレベル前立腺がん患者血清PSAの糖ペプチドのLC-MS/MS解析法の開発”
野口研究所時報第62号 (2019) p30八須和子